2017-06-15 第193回国会 参議院 法務委員会 第19号
○政府参考人(林眞琴君) まず、委員御指摘のとおり、現行法上、強盗犯人が強姦をした場合には強盗強姦罪が成立いたします。他方で、強盗と強姦との双方を行った場合でありましても、強姦行為後に強盗の犯意を生じて強盗した場合には強盗強姦罪は成立せず、強姦罪と強盗罪との併合罪が成立するということにとどまります。この場合、処断刑は強盗強姦罪とは大きく異なってしまいます。
○政府参考人(林眞琴君) まず、委員御指摘のとおり、現行法上、強盗犯人が強姦をした場合には強盗強姦罪が成立いたします。他方で、強盗と強姦との双方を行った場合でありましても、強姦行為後に強盗の犯意を生じて強盗した場合には強盗強姦罪は成立せず、強姦罪と強盗罪との併合罪が成立するということにとどまります。この場合、処断刑は強盗強姦罪とは大きく異なってしまいます。
したがいまして、委員御指摘のあったように、強盗犯人が被害者を強姦して故意に殺害した、このような場合には、これは強盗殺人罪がまず成立します。さらに、致死を除いた強盗強姦も成立しますので、結局、この強盗殺人と強盗強姦が観念的競合になる。これがこれまでの判例の確定した解釈でございました。
○林政府参考人 現行法上、強盗犯人が強姦をした場合には強盗強姦罪が成立いたします。他方で、強盗と強姦の双方を行った場合でありましても、例えば強姦行為の後に強盗の犯意を生じて強盗をした場合には、強盗強姦罪は成立せず、強姦罪と強盗罪の併合罪が成立するにとどまりまして、法定刑は強盗強姦罪と大きく異なる結果となっております。
○林政府参考人 これまでの現行法における強盗強姦罪につきましては、主体は強盗犯人、強盗がというふうに条文はなっておりますが、強盗犯人が強姦をした場合、この場合にのみ強盗強姦罪が成立する、このようになっておりました。これは、主体が強盗となっていたからでございます。
個別の刑法の規定に違反した場合、例えば陸上の強盗犯人について、警察が対処し切れない場合には自衛隊が対処するということを正面から定めた制度はもちろんありません。法案は、構成要件を掲げ、個別の構成要件に該当する行為には、特別の必要があれば自衛隊が対処することを規定しています。 司法警察の領域である個別の犯罪行為を対象として自衛隊が関与するような制度はほかにないのではないか。
それは当たり前の話でありまして、停船命令が出て船舶が停船をするのは、撃たれると困るから停船をするので、例えば警察官が凶悪な強盗犯人に向かってけん銃を向けて、とまれ、とまらないと撃つぞと、しかしこの鉄砲の中には弾が入っていません、あなたが逃げても決して追いかけることはいたしませんと言えば、そんなことは職務にならない。そういうわかりにくさがあります。
行きずりの強盗犯人に殺害されたとか酔っぱらってけんかして殺されたとか、そういう事件じゃ全くないわけで、一国の軍隊に所属する者がその国を旅行中の外国人を殺害したということですから、帝国主義華やかなるころにはこういうことで戦争が始まったことだってあるわけでありまして、決して放置してはおけないことなんですよ。
これは窃盗の実行に着手すればよろしいわけですけれども、ところが二百四十条の方は「強盗がこと書いてございますが、強盗というのは、よく強盗犯人のことを強盗と言うわけですね。しかし、窃盗犯人のことを窃盗とは普通は言わないと思うんですね。窃盗というと窃盗行為を指すわけであっで、普通日常語としては言わないので、これは「窃盗犯人が」というので私としてはいいように思いますけれども、これは強いてこだわりません。
まさに強盗犯人、殺人犯人がいる、それに対する直接的な秩序維持の警察行動なり、これはいいですよ。今、死刑囚としているのは十年も二十年も刑務所に放り込まれていて、反逆するも攻撃するも何もない。しかも、もっと言えば、自分の行為を反省して、前非を悔いて人間として真っ当に生きようと考えている人間かもしれない。善悪で言えば我々よりももっと善人になっているかもしれない。
同じような議論をすれば、いままでも何回かそういう事故があったけれども、警察官の保持している拳銃を強盗犯人がかっぱらって、それで人を殺す危険性があるからやっぱりあれ拳銃を持たすことは危ないと、あるいは自衛隊、これについては賛成、反対の立場があるかもわからぬけれども、いざ戦争になったときに相手にやられて兵器を持っていくとその兵器で今度はこっちが撃ち殺されることになるからそれも考えた方がいいと。
もう一点は、防衛庁から紹介をした労働者の間に強盗犯人がいたということを防衛庁は認めましたけれども、それについて責任を感じないかどうか。この三点を伺って私のきょうの質問を終わりたいと思います。
ところが丸市運輸の方では、職場の労働者は、また自衛隊から連れてきた、こう思っておったところが、実はこれが強盗犯人だったのです。九月の二十三日に逮捕されて、いま山梨の方で裁判にかかっておるはずです。つまり防衛庁の制服が丸市運輸へ紹介をした労働者が実は強盗犯人だった。これはどうですか、防衛庁。長官、これに対してどう思われますか。
もう一つの、拘束は受けなかったが強盗犯人として指名手配を受けた、しかし結局無実であったというようなものにつきましては、被疑者補償規程は、憲法の四十条それから刑事補償法の精神と同じように、抑留、拘禁という刑事手続における重大な国民に対する明白な損害を与えるような行為について認めておる刑事補償制度と同じ考えで、被疑者補償も、抑留、拘禁というもので、犯罪を犯さなかったと認めるに足る十分な事由があるものについては
あるいは強盗犯人として証言だけで指名手配をされた。これは東京の池袋で起きた強盗事件で警視庁から容疑者とされて、テレビや新聞を通じて全国に顔写真をお茶の間手配された。それが全然間違いであったということになったのですが、その手配書が二万枚出ているわけですね。
しかし強盗犯人として指名手配されておるという事件です。ですからいずれも、刑事補償では無罪の判決があった場合と、こうなっておりますが、それにどちらも該当しないで、一方は拘禁だけされておる、一方は拘禁もされていない、こういう事案です。
またこの二、三日前の新聞によりますと、強盗犯人が神経科の専門ということで六年間も診療行為に従事しておった、こういうことが新聞で報道されておるわけであります。これはやはり厚生省が、いま申しますように専門病院を増強する、そういうかけ声に便乗をして、いまのような、全く人道を無視したような医療行為というものが出てまいっておるというのを私どもは指摘せざるを得ない。
と申しますのは、けさの朝日新聞に、去る二十七日、札幌中央署の岡田基伸巡査が強盗犯人と見て射殺した小林政雄というのが、実は強盗犯人ではなかったと、翌二十八日午後、北海道警察本部で発表しております。これは一人の婦人、保健婦の南川まさ子さんというのが短刀を持った男に襲われ、千二百円入りの財布を奪われたという事件であります。
強盗犯人は命をとるのが目的ではない。騒がれたり何なりして、保身のためにやるわけです。証拠隠滅のためにやるわけです。ところがテロ犯人というものは、自分と考えが違うからというので、人の命をとるのが目的なんですよ。人命は全地球より重いという最高裁判所の判決があります。その全地球より重いものをとろうとするのがテロ犯人じゃありませんか。これは強盗殺人よりはなお凶悪ですよ。
それを普通の強盗犯人を追っかける捜査の費用に充てるとか、あるいは交通取り締りの費用に充てるとかいうことになれば別でございますが、公安警備活動をどの係の警察官がやったかということは、便宜どの係でやっても、それは差しつかえないわけであります。
なぜかと申しますると、この中村という人にこういったような非常にぬぐうべからざる気の毒な目に合せたということについては、これは非常に遺憾千万に思うのでありますが、同時に実は私も数日前にこの一切の経過を聞いたわけでございまして、ただいまお話を承わるとさらによろしいかと思いますが、御承知のように二人連れの子供連れの人が金華山の途上において強盗犯人にあったわけで、そして時計その他を取られた強盗事件であると思
そして、書類を持ち出したというので、曽根崎署ではこれを強盗犯人として検挙いたした。そこで、強盗犯人で検挙いたしたが、その後大阪の裁判所で懲役二年六カ月の判決を受けた。控訴、抗告いたしました結果が、昭和二十八年の二月、判決が確定いたしました。二十八年に判決が確定したにもかかわらず、今日まで逮捕せずにおったということはどういうわけでありますか。
しかし死をおそれない政治犯人や、絶望的な強盗犯人に対して死刑が無意味であるからといって、その威嚇力または一般予防の作用を否定することはできないと思います。死刑の存在が社会一般に対して抑制の作用を持つことは明らかな心理的事実であります。これを否定されるならば全刑法の組織を否定するほかないのであります。刑法は応報的な社会教育の機構であります。
今度の憲法によりまして基本的人権が尊重せられ、官憲は相当留意せられて、刑事訴訟法その他において窮屈なぐらい、強盗犯人を逮捕するにも実に慎重な態度でやっておられる。しかるに、一精神医が勝手なふるまいをやって、人の人格的生命を断つがごときことをいとも容易にやられるというに至っては、人権擁護もヘチマもあったものではありません。
田中耕太郎氏のような反共観念の猛烈な、ソ連、中共を強盗犯人にたとえるような人間から見ると、大ていの人間はみな資格を失ってしまう。そこで私どもはそういう主義や良心的なことに対して、採否を決定したり、あるいはおどかしたり、さようなことをすることは、ほんとうの正義観念、ほんとうの良心的な行動をする青年をしてゆがめてしまうと思う。そしてこれはまた将来大きな問題になると私は思うのです。